本文へスキップ
多治見空襲を語り継ぐ会戦争の記憶を、次の世代へ

祈念像と慰霊祭

多治見駅北の虎渓用水広場に、多治見空襲犠牲者祈念像が建っています。市民の募金によって建てられたこの像の前で、毎年、慰霊祭が営まれています。

なぜ像を建てたのか

1945年7月15日、米軍戦闘機P-51の機銃掃射が多治見のまちを襲い、太多線の列車が標的となって、小泉駅や多治見駅で多くの犠牲者が出ました。戦後60年を経て、この事実を知る人たちの多くが70歳を過ぎ、このままでは記憶が消えてしまう恐れがありました。

実際、委員会が空襲の様子や犠牲者の調査を進めても、60年という歳月は前に立ちふさがり、空襲の全容を明らかにすることは容易ではなくなっていました。そうした意味で、それはラストチャンスでした。

空襲犠牲者の冥福を祈り、戦争の記憶をしっかりと残し、平和を希求する思いを「祈念像」として形にしたい。そう考えて、2007年夏に委員会が立ち上げられました。建立の資金は、多くの人たちと意思を共有するために市民募金でまかなうこととしました。

出典:多治見空襲犠牲者祈念像建立委員会の成り立ち

建立までの歩み

2007年
「多治見市空襲祈念碑設立委員会」結成。のちに「多治見空襲犠牲者祈念像建立委員会」に名称を変更しました。委員長は元多治見市長の西寺雅也氏。委員には、空襲にあった列車に乗り合わせて九死に一生を得た方、亡くなった駅長のご長男、負傷者が運び込まれた病院の看護学生だった方など、当時を知る体験者が名を連ねました。
2007年〜2015年
市民への募金活動。長い年月を要しましたが、多くの市民と団体の支援により、当初の想定をはるかに超える額が集まりました。
2016年6月26日
除幕式。多治見市長、多治見市議会議長、虎渓用水を活用した水と緑の委員会委員長を来賓に迎えて執り行われました。像は富山県高岡で鋳造され、できたばかりの虎渓用水広場に据えられました。

祈念像について

名称
多治見空襲犠牲者祈念像
所在地
岐阜県多治見市 虎渓用水広場(JR多治見駅 北口)
制作
彫刻家 斉藤二郎氏(日展審査員/2021年逝去)
建立
2016年6月26日(除幕式)

慰霊祭

慰霊祭は2010年に始まりました。当初は、多治見駅で亡くなった方々が運ばれた駅裏の安養寺で営まれ、祈念像の建立後は虎渓用水広場の像の前で行われています。新型コロナウイルスの影響で中止せざるを得なかった年を除き、毎年続けられてきました。

当日は、委員長による慰霊の辞、来賓のあいさつ、献花が行われ、続いて記念行事として、多治見空襲の紙芝居の上演、子どもたちによるバイオリン演奏、多治見うたごえ合唱団の合唱、ハモニカサークル「喜音」、フォークグループ「こすもす」の演奏などが催されます。どなたでも参加できます。

多治見空襲犠牲者慰霊祭の開催記録
開催日会場
2010年7月17日安養寺
2011年7月18日安養寺
2012年7月21日安養寺
2013年7月20日安養寺
2014年7月26日安養寺
2015年7月25日安養寺
2016年7月24日虎渓用水広場6月26日に祈念像除幕
2017年7月23日虎渓用水広場
2018年7月22日虎渓用水広場
2019年7月21日虎渓用水広場
2021年12月4日虎渓用水広場
2022年7月24日虎渓用水広場
2023年8月10日虎渓用水広場
2024年8月11日虎渓用水広場
2025年10月4日虎渓用水広場

※ 2020年は新型コロナウイルス感染症のため中止しました。開催日は年によって異なります。最新の日程は多治見市の広報や当会の案内チラシでご確認ください。